HDRは表現だ

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もう随分と #HDR を試してきた。
まるでオリジナルのフィルムであり、現像であり、焼き付け作業のようなモノ。
フィルム時代も増感で粒子を荒らしたり、現像途中でストロボ発光させて、 #ソラリゼーション など結果の予測しにくいモノを安定して作れるようになることは喜び。

HDRも基本ソフトのスライダーで調整はしない。なんだか救済措置には使いたくない。
今は3つのプリセット、あとは撮影時にセンターの露出と、ステップを決めていく。

コツはカメラに勝手なピクセル生成をさせない事。手ブレ補正OFF、長時間のノイズ除去や、ディメンションの補正、とにかくカメラの画像処理を通すと異なるピクセルが生成される。

これを使ってHDRをするとおかしな事になる。全部SONYで揃えた機材をNikonに戻したのも勝手な画像処理が原因。

カメラの進歩と作家の意図は噛み合いにくい。こだわりだすとキリがない。

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